イントロダクション

 地球社会の健全な持続を阻害する大きな問題の一つに、高齢社会のQOL低下があります。私たちのヒューマン・サステイナビリティ・プロジェクトは、ヒト=人間の健康=幸福の諸条件を、社会スケール・個人スケール、ヒトスケール・器官スケール・細胞スケール・ゲノムスケールなどのマルチスケールで捉えなおし、人間の「こころ」と「からだ」の至適状態を維持するための知識を集め、活用に供することで、人間が人間らしくあり続ける環境づくりを促進し、地球社会の健全な持続的発展に貢献することを目的としています。


科学技術と人類の幸福

 20世紀は、科学技術の急進展により、先進諸国も後発国も順調な長寿化を享受しています。その反面、QOLの向上の進展・普及は遅く、幸福な健康寿命を伸ばしているとは言いがたく、対処的な医療費は37兆円にも届く勢いで増え、政府予算の硬直化を招き、社会の持続性に暗い影を落としています。

 この背景には、科学技術活動が自己目的化し、人類の幸福の追究という当初の目的を忘れかけている現実があるのではないでしょうか。人間的な時間を確保するため労働の軽減を目指したにもかかわらず、余暇を目の前にして余暇を楽しめる健康な「からだ」がないという皮肉。自分自身が人間として生きることとの連関を意識することなしに、科学技術の目的達成は難しいでしょう。


求められている人間の視点

 私たちの研究グループは、人間の二面性、「生物としてのヒト」と「意思を持った人間」を科学的に捉えなおし、人間の「からだ」と「こころ」の関係を統合的に理解しようとする視点にこそ、現代の科学技術が人間のために有効に機能させるための思考の起点があるものと考えています。

 ヒトの「からだ」は、皮膚や腕や内臓、脳など、個別の臓器から成り立っていますが、臓器を個別に研究していたのでは、全体の至適状態すなわち健康状態を把握し難いどころか、「こころ」との連関に結びつけることは大変難しいと考えます。

 私たちは、全身の運動と細胞活性の研究、細胞への機械的刺激とその応答・適応の研究を通し、全身を使った運動が全身のすべての臓器を構成する細胞を活性化する素過程を理解することで、人間の「やる気」「意思」による全身の運動と生命の最小単位「細胞」との相互作用に一定の知見を得つつあります。


未病・未加齢の健康科学

 人間の健康に対し、医学は多くの恩恵を私たちにもたらしました。この100年でどれだけたくさんの病が治療可能になり、人々に生き続ける「勇気」を与えたことでしょうか。しかし、必ずしも治癒しない状態で高齢状態を生き続ける、QOLが必ずしも高くない高齢者が増え続け、医療費は増大しつづけています。高齢者のQOLを高め、死ぬまで健康に生き続けるために、「未病」「未加齢」の健康状態をいかに維持し続けるかが、今後たいへん大事なこととなるでしょう。

 私たちの「全身運動のもとでの細胞応答・適応」の研究には、健康な細胞をいかに健康にし続けるための知見がたくさんあります。それらを再構築し、人間が健康でありつづけるための活用法を編み出し、地球社会の生き生きとした持続に確実な解決策を提示することでしょう。


行動変容のための教育プログラム

 地球社会持続の阻害要因に対する数々の処方を前にして、私たち地球人はなかなか我が事として、主体的に解決メニューに取り組むことができていないように見えます。それは、地球という系の中で起こっているたくさんのことに対し、多くの人が実感をもって理解できていないからではないでしょうか。

 ヒト=人間の至適状態を維持するためには、「自然物」であるヒトの性質を理解し、自然に組み上げられた精緻な「ホメオスタシス機構」を十分に活用し、足りない部分は知恵の結実を最小限補うことが良いとされています。このことは、地球社会の持続性についてもあてはまるでょう。持続を困難にしている原因の多くは、45億年の歴史をもつ自然のままの地球に対して、わずか1万年の短時間に集中的に投入された、ヒト=人間の知恵の活動「人工物」によるものが大きいのでしょう。特に大量生産の20世紀の人為活動による影響が大きいとされています。

 「ヒト=人間」系と「地球=社会」系は極めて類似点が多く、「自然物/人工物」の切り口で見た場合、むしろ相似な系と言ってもいいかもしれません。二つの系の持続機構を理解し、私たちの幸福のために活用する「知の構造化」と「リテラシー提起」が求められています。


大学一般教養教育の中の人間の科学

 東京大学では、平成18年度から大学一般教養教育カリキュラムの中に、生体である「自然物」としての自分と、意思を持った「人工物」としての自分を、試行錯誤をしながら探求できる実習プログラムを導入しました。これは、分節化中心の20世紀型科学思考から21世紀の統合型科学思考を担う人材養成基盤を提起するものです。

 平成3年の大学設置基準の大綱化で、東大では長年必修だった保健体育講義は選択科目となり、体育実技のみが必修で残りました。中高大学受験科目にはない「保健体育」をほとんど学習していない新入生が大学に大挙入学してきます。身体や健康、身心の連携などについての知識は驚くほど少なく、受験のために学んだ生物学の知識さえ「自分が生きていること」と関連づけられていません。その結果、学生にとって体育の授業は、「身体をリフレッシュする時間」との位置づけになっていました。

 平成18年度から、一週間に一度の体育の授業を、身体の運動量を補償するだけの体育実技科目から、「出力依存的に現れる自らの身体の働き」の観察・数値化を通して啓かれる「自己対象化」・「自己創発」を促す教育の場として捉え直し、授業題目を「身体運動・健康科学実習」と名付け開始しました。「やる」ことだけを目的にせず、「やる」ことで分かる「からだの仕組み」や「身心連携の仕組み」の理解を目的としています。つまり、「知識の習得」と「知識の活用」を同時に実習し、授業後のレポート作成過程で自身の身体の内観を言語化することで学習効果を確実にする、自己認識の基礎実習と位置づけたのです。

 文理を問わず3千人の新入生対象に、夏学期と冬学期の2期、90分間、計26コマ行われる授業では、従来のスポーツ種目を、身体運動・健康科学実習の応用モデルとして定義し、その基礎について学ぶ時間が5コマ分用意されました。

 夏学期には、学習に取り組むための前提となる、?知っている「つもり」になっているが、やってみなければ分からないこと〔第1の身心問題〕、?姿勢維持と運動は脳神経と筋の連携で起こること〔意思と運動〕の2項目をまず学びます。これらは日常の視点から「からだ」を認識する第一歩です。

 それらを理解した上で、冬学期には、?「自分」でありながらも意思に依存しない「自律的な生命活動を営む生命体」としてのマクロな身体の理解〔呼吸循環と健康〕と、?その身体のミクロな視点での理解と、意志や自発性のような「人間」としての側面を自然の法則に則って活動する身体にどう関わらせるか〔身体運動と生命科学〕、そして、?万が一のときの対処法〔救急法〕を学習します。

 3千人という人数の制約から、これら5項目を選びましたが、いずれも人間が120歳の人生を全うするために欠かせない、今まで見落とされがちだった人間の側面を見せる項目と自負しています。

 それぞれの内容について見ていきます。

1. 認知と出力の一致度を探る
 できる"つもり"と"実際"は異なることを、自身の試行を通して気づかせる。全力を振り絞って握った最大握力の20〜100%の5段階の「つもり」で握ってみても、思うように握り分けられない。そのことから"つもり"と"実際"は異なることを知り、実際にからだを動かして試してみることの大切さを実感させる。これは、大学での学習や研究に対する基本姿勢の醸成に大きく貢献する。

2. 立ち方、歩き方、からだの動かし方には基本がある
 立位姿勢を中心に、人間は重力場中でどう立つか、立つためにどのような構造を持っているのかを理解させる。自分の姿勢や重心の位置を測定し、運動するとどうなるか実感でき、適切な運動によって姿勢や重心の適正化が起こることを知ることができる。若年化傾向にある腰痛の予防にも応用できる。

3. 自分に最適な走る速度を測る呼吸循環と健康の科学
 運動の強度を高めるにつれて、心拍・呼吸数が変化するが、一様な線型変化ではなく、非線型応答を始める閾値がある。このことから運動負荷に対する身体の作動メカニズムを理解させる。二足歩行運動や走運動がヒト、そして人間への進化に強い関わりがあることと、人間としての健康のための運動の重要性を認識させ、脈拍や呼吸数などの心肺循環機能のチェックが確かな身体の健康指標であることを理解させる。

4. 身体運動と生命の科学
 ストレッチ、呼吸、走歩、筋収縮による関節動作の発現など、基本的な身体の出力(張力)が、細胞を活性化する刺激になっていることを理解させる。刺激は細胞内のひも様タンパク質構造の張力で直接DNAに伝わり、DNAの読み出しが稼働する。細胞が活動するための「場」こそ身体であり、その場の保全つまり健康の維持は本人の責任であることを自覚させる。実際にストレッチを行い、姿勢による心拍数の変化を測り、その同じ実習室で生体から切り離されても拍動し続ける心筋細胞や細胞の核内DNAを観察し、生命の自律性と自分の意志について考察させる。

5. 救急法とからだのつくりの理解
 市中に配備されつつあるAED(自動体外式除細動器)のデモンストレーションを通し、個々の細胞がバラバラに活動するのではなく、統制がとれた運動をする心臓の働きを理解しながら、心肺蘇生法の実習、テーピング、アイシングなどを体験しながら、瀕死の負傷者を前にしたときの市民としてのたしなみを身につける。

 学期終了後の学生アンケートは大変好評で、救急法で運んだ体の重さに対する実感や、個人に合った適切なジョギング速度の発見、自分では気づかなかった姿勢の発見など、教授陣の意図が伝わっただけではありませんでした。

 「からだへの働きかけでいのちや夢が支えられる」との感想や、うつ気味の学生からの「こころのストレッチ」、小中高12年間受けてきた体育授業と比べた学生からの「人生12年目の快挙」との賛辞までが寄せられました。考える対象ではなかった「からだ」を改めて見直すことで、学生たちは「からだ」を有効に活用する視点を得、「からだ」を起点にした様々な事柄に対しての「気づき」が生まれ、他の教科への学習意欲まで喚起できたようです。

 “からだを使って、自分を科学し理解する”5つの「基礎実習」は、いずれも「身体が動かせる場」で自分の身体応答を知ることを基本として展開します。これらの内容の核心は、「自己の可視化」です。つまり、普段意識することのない「自己」は、自身の身体を動かすことで、否応なく感じさせられ、現実の世界として具体的に関わることになります。

 学生たちは、自分の意思や意図と異なる身体応答をする私たちの、「生物」の側面、意思をもって主体的に動こうとする「人間」の両側面について、実際にからだを動かしながら学びます。そしてその自律的な「生物」の能力を引き出し、練習により“つもり”と“実際”を一致させ得るのは唯一「人間」であり、それは「自分」であることを理解するのです。

 その「自己」の応答を、測定・数値化・言語化し、既に持っているバラバラな知識と照らし合わせることで、学生個々人の目的に沿った科学的知識の関連づけ、すなわち知の構造化の初歩的な実践に結びつくのです。


からだの知の構造化=からだリテラシー

 歴史的に長い期間「識字」すなわち「リテラシー」の有無が、人間の知的活動の基盤とされてきました。しかし近年「リテラシー」のとらえ方が大きく変わってきています。

 紙の上のインクの染みの連なりを音声の置き換えられるだけでは、もはや「リテラシー」があるとは見なされません。自ら設定した目標に向けて、獲得した知識を活用し、いかに主体的に社会と関わるかが重要とされてきています。

 5つの「基礎実習」を経た学生たちは、「自然物」としての自身についての知識を得、どう活用できるか知るきっかけを得ることができました。誰もが受け入れられる「からだリテラシー教育」は、文理の別なく全ての人が科学的に自身と環境の関係を認識する最もよい「科学リテラシー」のトレーニング・教材です。

 「からだ」を基本とした共通認識があって、初めて「人工物」である科学技術が人間の幸福に向けた知の活用に結びつくのではないでしょうか。

 共通の「リテラシー」を基盤にして初めて、地球・社会・人間の持続性を確実にする問題解決のためのコミュニケーションが促進され、解決までの道のりを短縮するのではないでしょうか。